サンディーノの生い立ち

父親の影響を強く受ける

ニカラグアの太平洋側、Niquinohomo(ニキノオモ)村で生まれたサンディーノは、アウグスト・ニコラス・カルデロン・サンディーノ(Augusto Nicolás Calderón Sandino)と名付けられました。父親は中規模のコーヒー農園を経営していたドン・グレゴリオ・サンディーノ、母親はその農場で働いていたインディオのマルガリータ・カルデロンで、私生子として生まれました。その後、父親であるグレゴリオが結婚しアウグスト・サンディーノを息子と認知することになりました。

ニカラグアでは、当時自由党派と保守党派が時折内戦を起こして激しく対立を繰り返していました。父親のドン・グレゴリオは自由党派に属していたため、息子のアウグスト・サンディーノもその影響を強く受けて自由党派の意思を持つようになります。

思想や知識の形成

また、父親のドン・グレゴリオコーヒー農場を経営するだけではなく、様々な分野の文献や知識を得ようと努めていました。私生児でありながら、家族と全く変わらない扱いを受けていたアウグスト・サンディーノは、これら父親が所有していた書斎の本を自由に読むことができ、そこで広い知識や見地を学んでいきます。その中でローマ帝国史の本を読み、自分の名前のCalderónはカルデロンではなくセサル(ガイウス・ユリウス・カエサルのスペイン語読み)と考えたのもこの時の知見がきっかけとなります。

工業学校を卒業したサンディーノは、コスタリカに渡り技能工師として働いていましたが、1921年の26歳の時にニカラグアに戻ります。その年、酒場で町保守党員の息子であるDagoberto Rivasを銃で撃ってしまい、その後ニカラグアを離れることとなります。それからホンジュラスやグアテマラへと移動し、最終的にメキシコに留まることとなりました。メキシコでは、タンピコ港の近くのセロアズールで精油関連の仕事に就くことになります。この時サンディーノは27歳です。


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